君は素晴らしいぞ!!!
昨日の夕方、身なりや態度はしっかりとしている、しかし顔や体型はまだまだ中学生の女の子と愉快で昔やんちゃしてただろうなと思わせるおじいちゃんが偶然道端で出会った情景に出くわした。
「最近A子とB子とバラバラじゃん」「ケンカしたの?」
思春期の女の子に結構ストレートな表現を使うなーと思って僕は聞いていた。
中学生の女の子は深刻な雰囲気も出さずかと言って強がってる様子でもなく、割と大きめな声で
「ケンカした!」と言った。
なんだろうこの感情。中学生の女の子のケンカだったら重くなっても全然おかしくないのにあんなあっさり言ってのけたからだろうか。めちゃめちゃ愛おしい。
君は素晴らしい!!
今後も胸を張って生きてくれ!!!
日本の「カワイイ」文化は本物だと思った
日本のユニバーサルとの違いはまず値段
ユニバーサルスタジオジャパンは5000から6000円で入場できるのに対し
ユニバーサルスタジオハリウッドの場合は120ドル 今のレートで換算して約1万3000円
その値段の違いが影響してか感じた館内の基本層は家族連れでした。日本で感じたあの夢の国感があまりないのは何でだろうと思っていたがそれは高校生、大学生などの少なさから来ているのだと思う。改めて日本の若者が作り出す文化は凄いと感じた。それによる経済効果は凄い。もしアメリカのユニバーサルが安く、若者が入れたとしても、日本のようなお揃いコーデしたり仮装したりする文化は生まれていないと思う。なぜなら柄物の服やアクセサリーなどは背の小さな日本人の方が良く似合うからだ。
村上龍 『69』 唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きること
これは楽しい小説である。
こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた。
この小説に登場するのはほとんど実在の人物ばかりだが、当時楽しんで生きていた人のことは良く、楽しんで生きていなかった人のことは徹底的に悪く書いた。
楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。
数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きず続ける「退屈」の象徴だった。
そんな状況は今でも変わっていないし、もっとひどくなっているはずだ。
だが、いつの時代にあっても、教師や刑事という権力の手先は手強いものだ。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。
いやー 何度読んでも響くものがあるねー。
最初に読んだ時なんかはホント鳥肌たった。
嫌がらせを受けた
陰口を言われた
集団でいじめられた
この手の悩みは一生尽きないと思う。
どの学校でも会社でもこういう問題は起きる。
今教えている生徒でも、いじめとまではいかないが人間関係で悩んでいる子が多い。
塾は勉強しに来る場所なのにホントにもったいない。
僕の知り合いにも、受験期に突然ハブられたて独りになったという友達がいる。
その子の場合は気が強く、それをプラスに変えられて周りよりいい大学に進学できたし、自分に対しての肯定感も強い。
僕の場合、中学高校の時は、人間関係の悩みが絶えなくて自分に対する自信がなく、自己否定的になってしまっていた。
人間関係に悩んでいる生徒で一番心配しているのはその事態だ。
当時に自分を肯定してくれる大人がいて欲しかった。
だから、ずっと味方でいてあげられる大人でありたい。
生徒にもこの小説を是非読んでほしい。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだ
この小説を読んでから1年以上経っている今でもこの言葉に励まされている。
でも同時に、僕らは「退屈な連中」に成り下がってしまう可能性と隣り合わせにいる。
女の子に人気のある奴がいたら睨んでみたり
リア充ツイートする奴を批判してみたり
これらの行為も十分他人の人生を邪魔してると言えると思う。
劣等感からくる嫌悪感を人にぶつけては絶対ダメだ。
他人に幸せを与えられる人になろう!!
『億男』 金持ちというよりカッコいい大人になりたいよね
登場人物の九十九の元同僚である百瀬の言葉
この世界ではあたりまえちゃうことのほうがとかく目立つし、よく思われたりする。でも勝ためには、あたりまえを見つける目が必要なんや。そしてあたりまえのことを、あたりまえにやる。ただそんだけでほとんどの勝負は勝つことができる。でもそれが一番難しい。実際、この競馬場でそこらへんを歩いている奴に、そのことを分かっている奴はだれもおらへん。みんな自分の欲とか恐怖とかにとらわれて、あたりまえのことを見失う。そやから賭け事はあたりまえのことをバカにせんとる奴らが勝んや。
投資について勉強中のボクはこの考え方がとても印象に残った。
僕もこのような考えが欠如してるし、周りの友達もこれを意識して動けている奴はほとんどみかけない。だから決まって僕らは労働者階級でくすぶってるのかもしれない。
しかし、この本では企業に成功し、億万長者になった人達のその後の人生がどちらかというとマイナス的イメージで描かれている。
貧しさは人間を狂わせる。同じように、有り余る富も人間を狂わせる。
お金のことについて勉強している僕にとっては少し釘を刺される本でもあった。確かにお金=幸せには繋がらないが、資本を手にできれば自分の理念を達成させることに大きく近づけると思う。
マイクロソフトを開発し世界長者番付で4年連続で一位を獲得しているビルゲイツさんは慈善団体を設立し社会貢献している。陸上競技で史上最多の11個の金メダルを獲得したウサインボルトさんも国際陸連と連携して慈善活動にあたっている。また、陸上競技を引退した後、サッカー選手としてデビューするという報道もあった。人気ブロガーのイケダハヤトさんも10代の若者にマックをプレゼントするという企画を実行している。
私は居酒屋、コンビニ、塾、他にも派遣会社を通じたバイトで様々な大人に会ってきているがそのほとんどが仕事を楽しめていないように見えた。私が子どもの頃大人になりたくないと思っていたのも、周りにそのような大人しかいなかったからかもしれない。
金持ちになりたいというよりカッコいい大人になりたい。
よし、勉強しよう。
小説から学んだこと 『海辺のカフカ』
「世の中のほとんどの人は自由なんて求めてはいないんだ。求めていると思い込んでるだけだ。すべては幻想だ。もしほんとうに自由を与えられたりしたら、たいていの人間は困り果ててしまうよ。覚えておくといい。人々はじっさいには不自由が好きなんだ。」
私がこの作品を読んだのは比較的最近なのだが、実際読んだいた時は何も感じず読みとばしてしまっていた。
だが、大学生2回目の夏を迎えようとしている今、このフレーズは凄く人間の真理をついているなと思う。
大学1年生の時、自分は一切のストレスを排除しようと行動していた。
居酒屋のバイトを始めるが1か月も経たないうちに辞めてしまい、課題が大変な授業には行かなかった。
そんな風に生きていた時の夏休み。
コンビニのバイトは週2回程度、遊びも週1回程度。
それ以外は全部予定なしの休み。
休みの無いサラリーマンなど多忙な日々を送っている人は羨ましいと思うかもしれないが、僕が思っていたことは真逆だった。
「あー、大学なんかやめてガッツリ働きて―」
私は自由など求めていなかった。
私は今、大学生にしては責任の重い方の集団塾のバイトをして、割と多忙な生活を送っている。
「楽しい!」
とは言えない状況にある。
予習が大変だし、生徒になめられたりしていてそのことでほとんど頭がいっぱいになってしまう。
辞めたいと思うことも多い。
そんな時はこの言葉を思い出してもう一回考え直そうと思う。
人は じっさいには自由が好きなんだ。
受験生の保護者様へ
私の母校が今日2回戦で敗退しました。
対して強くもない相手に5回コールド負けです。
負けた後の選手の表情を見るからに、この夏への思いはその程度のものだったんだろうなという気がします。
僕らが負けた時もそうでした。
ほとんど悔しさは感じなかった。
「あー、これで俺の野球人生は終わりなんだな」って少し寂しくなったぐらい。
そしてスタンドで応援しているベンチ外の1年生をみて、
「この弱い伝統というものは続いていくんだな」と思った。
凄い選手はプレーを見なくても、立ち姿やオーラでわかるものだと思う。
それを全く感じない。
おそらく、3年前スタンドで応援してた僕もそのように見られていたのだろう。
野球の話が長くなってしまったが、僕が言いたいことは
いかなる分野においても保護者によるサポートは最重要だということ
私の母校の保護者からは全く勝利に対しての情熱が伝わってこない。
息子が大会に参加して試合に出ている。それだけで満足なのだろう。
強豪野球部の親御さんを見てみて欲しい。
自主練を手伝ってあげているんじゃない?
試合の後には一緒に反省会してるんじゃない?
一流のプロ野球選手の自叙伝やドキュメンタリー番組では、「努力」の2文字が定番のものになっているが、始めは親のサポートがあってこそのものだと思う。
勉強においてもそうだと思う。
私は塾講師をしていて、普段は下のクラスを指導しているが春季講習の期間だけ上位のクラスを指導したことがある。
どの位のレベルかというと、御三家中学を狙えるレベルのこども達だ。
ゆくゆくは東大に入る子達である。
その子達の親は決まって子ども勉強を良くみてやり、我々塾の講師と模試のことだったり、志望校の話だったりを良くする。
優秀な子ほど親のサポートを良く受けており、伸び悩んでいる子ほど親のサポートが少ないと言い切っていいと思う。
もちろん親のやる気が高く、良く我々講師に相談に来る親御さんの子でも結果がでない子もいる。
しかしそういった場合は決まって家ではクソ程子どもを甘やかしているパターンの可能性が極めて高い。
もちろん弱小野球部のことも偏差値が高くない人のことも全く否定するつもりはない。
なんせ私がそのような人間だったからだ。
但し、幼少期、思春期の成功体験は自己肯定感に大きな影響を及ぼし今後の人生にも大きく関わってくるものだ。
子どもの自主性を最優先に考えたいという人も多いと思う。
それも大事だと思うが子どもが小さい時期にその判断ができるだろうか?
自主性を尊重しながらも、ある程度の向き不向きを見極め、最高のサポートをしてあげたい。
引退してから2年経つ俺の高校野球の見え方
神奈川県の夏の高校野球が始まりました。
俺が引退してから2年経つということになる。
2年経過したことについて思ったことは、「うわー、もう2年か! 早っ!!」ということではない。180度反対である。
2年前自分がまだ野球をやっていたということが考えられない。
打撃のフォーム、顧問への媚び、受験勉強
今の頭の中とは全く違ったものが2年前の自分の頭を占領し悩ませている。
更に言えば、当時1年生だった後輩がまだ野球中心の生活を送っているということに驚く。
俺がそれまでとは全く変化した2年間にずっと野球を続けているのか。
去年は、一緒に野球をやっていた一つ下の後輩が引退したことに酷く悲しい気持ちになる方が強かった。
10年後はもっと今年のような気持ちが強くなっているんだと思う。
どういう30歳になっているんでしょうね。